2015年03月18日

5日目。アカ人のブランコと日本の鳥居

今日から、トレッキング。チェックアウトをしに下に降りていくと、ガイドのサイモンさんがすでに待っていた。私を見ると手を振って、「相変わらずハンサムだ。」と軽口を叩いた。サイモンさんには三年前、私一人でチェンライに来た時、ガイドをしてもらった。覚えていてくれたようだ。

トレッキングの行程はツアー会社に確認をして、荷造りもそれに合わせてしていた。ところが、念のため、サイモンさんに確認するとまったく違うと言う。サイモンさんとツアー会社の関係はそんなに良好でも密接でもないようだった。ともあれ、サイモンさんの車に乗って出発した。トレッキングの開始だ。

サイモンさんは、車を運転しながら、隣のMに英語でローイ・クラトンの話をはじめた。Mは話があまり分からないようだったので、「ローイ・クラトンは、日本語では、トーローナガシだ。」と口をはさんだ。サイモンさんは、面白がって、「トーローナガチ、トーローナガチ」と繰り返した。

タイに固有のお祭りが、日本にあるとは思わなかったのだろう。この後も、英語では説明的にしか表現できないものが、日本語だとそのまま自然に訳されることが何度もあった。

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市場によって、買い物をした後、サイモンさんの家に行き、荷造りをやり直した。そこから、エレファントキャンプあたりまで車で行って、近くの集落で降り、歩きはじめた。

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最初は気楽に歩いていたが、

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だんだん私は遅れていき

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動けない

一二時間くらい歩いて山を越え、モン(Hmong)人の村についた。そこで、食堂に入って、パッタイを食べた。Mとサイモンさんは眠かったらしく、そこで眠ってしまった。よくこんなところで眠れると感心した。

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またしばらく歩くと、アカ人の村についた。

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入母屋造りの千木のある屋根で、古い日本の屋根と同じだ。

アカ人の村を少し歩いていくと、土手の上に、木の枠のようなものが並んでいる場所があった。サイモンさんは、これは、毎年、儀式の時にブランコとして使うと言った。

私は、きっとこの「ブランコ」には鳥が止まっているに違いない、と思った。急いで土手を登って見ると、確かに居た。横木の上には、鳥の彫刻があった。これは、ブランコというより、鳥居なのだ。

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このブランコはアカの言葉では、ロコンと呼ばれる。アカ人の説明によれば、神をつれて、または、神の使者として村に鳥が来る。その鳥が村の入口で止まるのが、このロコンであるという。(『倭人の源流を求めて』(森田勇造)による。)

日本の神社の鳥居は、ある種の門として扱われ、それがなぜ「鳥居」と呼ばれるかは明らかでない。しかし、これがアカ人のロコンと同起源だとしたら、意味は明らかだろう。神の使いの鳥が止まるので鳥居だし、注連縄(しめなわ)はブランコだったのかもしれない。

現在タイの地に暮らすタイ人やアカ人はかつては中国雲南省のあたりに居た。さらにその昔は、そこから揚子江を下ったあたりにいたと考えられている。一方、日本に稲作をもたらした人々は揚子江の下流域からやってきたと考えられている。

中国古代において、漢民族が黄河周辺のみに存在し、揚子江周辺への影響力を持たなかったころ、揚子江流域ではさまざまな民族が、存在し、互いに影響を与え合っていた。独自の文明も発達した。(その文明の全容はいまだ明らかでないが、たとえば徐朝龍『三星堆・古代文明の謎』)

その文化圏に於いて、のちにアカ人と呼ばれる人々と倭人と呼ばれる人々が、共有していた文化が、鳥居なのではないか。そんな想像をした。

それから、男女の性交を表す像もあった。これはロコン・パトムと呼ばれ、世界の成り立ちを説明するものらしい。アカの村ではロコンとロコン・パトムが一緒に置かれるようだ。

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posted by やなぎす at 12:23| Comment(0) | 日記
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