2015年03月22日

7日目。チェンライの夜

トレッキングが終わり、チェンライのホテルまで送ってもらった。

夜、ナイトマーケットに夕食に出かけた。屋台村のようなところで、ビールを買って、揚げ物のセットと、川魚の塩焼きを食べた。

901.JPG

902.JPG

この旅行が終わったら、つぎにMに会うのはいつだろうかと、私は淋しい気分だった。

ウイスキーのようなものを買ってホテルに戻った。

903.JPG

904.JPG

ホテルに戻ってウイスキーを飲みながらあれこれ話した。私はかなり酔っていた。Mも酔っているようだった。途中でふざけて英語で返答したあたりから、何を言っても可笑しくなって、バカなことを大声で言い合っては、笑った。何を話したのかは、あまり覚えていない。私が、足元がおぼつかなくて、ふらふらとベッドに倒れると、Mは枕をつかんで、私をなんども枕で叩きはじめた。何の意味があるのか、まったくバカバカしかった。バカバカしい夜が意味もなく更けていった。

【終わり】
posted by やなぎす at 14:00| Comment(0) | 日記

7日目。焼き鳥を食べ、滝に入った

801.JPG
朝、目が覚めると、みんな焚火の周りにいた。寒かった。

802.JPG
家の周囲

803.JPG
近所では豚を解体していた。家族に病人がいるので、その儀式用だという。悪い霊を山に返すらしい。

804.jpg
トレック最終日。これは道なのか?

805.JPG
焚火をして鶏肉を焼いた。

806.jpg
おいしかった。

807.JPG
そのあとまた歩いて、滝に行った。滝つぼでタイ人たちが遊んでいた。彼らは、Mに、滝つぼに行け行けと、けしかけた。Mが水に入ると、大喜びしていた。本当に入るとは思わなかったらしい。

808.JPG
それから、Mに呼ばれて、私も滝つぼに入った。Mがいなかったら、見てるだけだったろう。ありがとうM。

posted by やなぎす at 13:35| Comment(0) | 日記

2015年03月20日

6日目。黒魔術と蜥蜴(とかげ)

ラフ人の村をでて、山を下った。

サイモンさんに、「トレッキング(山歩き)は二日にして、三日目は観光にしたらどうか? なんで三日もトレッキングをするのか?」と聞かれた。私が返答に困っていると、Mが、「彼は歩くのが好きなのだ。」と言って笑った。

701.jpg

702.jpg 余裕のサイモンさん

703.jpg 疲れて動けない私

自分でも理由は良く分からなかったが、歩いているうちに、「私は探検ごっこがしたいのだ 」と気付いた。子どものころ川口浩がテレビでやっていたアレである。

歩いていくと、眺望のいいところに、小屋があった。小屋の屋根の両側に十字状の突き出しが目立ったので、サイモンさんに、
「ここで休もう」
と言った。この突き出しは、日本の神社では、千木(ちぎ)、鰹木(かつおぎ)などと呼ばれるもので、古代からある。何のためにあるのかは知られていない。昨日通ったアカの村にも、小さなものがあった。ラフの村にはなかったと思う。こんなに大きなのは、初めて見た。簡易な小屋なので、装飾的な物ではないだろう。茅葺屋根を作るときには、この十字があると、何か実用上の利点があるのではないだろうか、と思った。

704.JPG

705.jpg

706.jpg
(翌日、アカの村で撮った千木のある屋根)

小屋の下で休んでいるとき、どこかでパン!と銃声がした。しばらくすると三人の男が、下の方から、こちらに向かってきた。そのうちの一人が長身のライフル銃を持っていた。サイモンさんとは知り合いのようで、しばらくの間、話していた。そして、私たちが歩いてきた方へ、行ってしまった。早口で話していたのが、タイ語ではなかったので、
「彼らは(サイモンさんと同じ)カレン人なのか?」
と聞くと、その通りだった。

「彼らは、狩猟をしている、と言った。しかし、こんなところに動物はいない。」
とサイモンさんは言った。含みのある言い方だった。

彼らの一族は、数十年前にこの辺りに移住してきたカレン人だという。彼らは、とても貧しくひどい暮らしをしている(していた)とサイモンさんは言った。そして、その中に黒魔術を使って人を殺す者がいる(いた)と言った。水牛の革と牛の革とそれから何かを使って、と説明していたが、私にはサイモンさんがどのくらいそれを信じているのか、分からなかった。その黒魔術師は、虎も操るという。他に、山刀一本で、銃をもつ男たちと戦った者の話など、その一族についていろいろ話してくれた。私にはよく分からなかった。

私は、コリン・コッタリルの『老検死官シリ先生がゆく』という小説を思い出していた。1970年代の共産革命後のラオスで、老医師が、モン人の村にゆき、魔術的世界に入っていく話だ。前世紀の終わりころまで、山岳民族と呼ばれる人たちは、政府の支配をあまり受けず、大麻を栽培し、いまよりもずっと神話的な世界に生きていた。

サイモンさんは、彼自身が精霊の声を聞いた話もした。三年前、私が、「オバケを信じない」と言った時の、サイモンさんの意外そうな顔を思い出した。サイモンさんが育ったのは、今よりもずっと魔術的な世界で、そしてその世界は彼のどこかに確実に残っているのだ。

その小屋からはずっと下り坂で、降りていくと、田んぼが続く平地になって、しばらく畦道を歩いた。田んぼに数羽の焦げ茶色の小鳥がいて、サイモンさんがそれを指して何か言った。私たちが近づくと、鳥が一斉に飛び立った。腰が白かった。「コシジロキンパラだ! 」と思った。

私は飼い鳥に興味があるので、十姉妹の原種であるコシジロキンパラには、かねてから関心があった。以前バンコク近郊で見たのとは色合いが違うような気がした。この辺りは、ベンガル亜種、インドシナ亜種、中国亜種がまじりあうところ(Robin Restall,"Munias and Mannikins"による)なので、そのせいかもしれない。写真を撮りたかったが、疲れていて気力がなく、頭の中でいろいろ考えるだけで、そのまま通り過ぎた。

707.JPG

そのうち、昨日車を降りた、エレファントキャンプあたりに出た。久しぶりのコンクリートの道だった。

そこから車に乗って、食堂に行った。トラックが止まっていて、銃を持った兵隊が三人食事をしていた。自動小銃が無造作に置かれていた。彼らは、山の中で会った三人を追っているのだろうか。

食事のあと、温泉によって、サイモンさんの家についてのは2時くらいだった。4時からまた少し歩くので、涼しい部屋で、休憩しようということだった。

少し休んでから、私は一人で散歩に出た。

途中、車から見えた大仏の所にでも行こうかと思った。まず、以前行ったことのある幼稚園や川のあたりに行き、そこから少し歩いて、隣の村の雑貨屋のようなところで、コーラを買った。店の女性に、タイ語で「どこへ行くのですか?」と聞かれた。何となく歩いていただけなので、タイ語で何と言うのか困ってしまった。すると隣の女性が、”Where you go?”と聞いてくれた。”I am walking.”と答えたら、笑ってくれた。

店の裏から村の中に入って、そこから大仏への道を探したが、見当たらなかった。幼稚園まで戻って、その裏の川を見ると、コンクリートの堰があった。少し怖かったが、そこを上手く飛び越えられた。向こう側の畑の畦道が大仏に向かっていた。

草深い畦を歩いているときに、何か動物が足に飛びついてきた。そして、咬まれた。思わず悲鳴を上げて、足を振り回したり、手で払ったりした。しかし、何もいなかった。枯れた草の枝がぶつかって、それに慌てただけのようだった。可笑しかった。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という川柳を思い出した。

しかし、枯れ尾花ではなかった。実際この時、私は噛みつかれていたのだ。

大仏は開けた畑の中にあって、なかなか面白い光景だった。カメラを持ってこなかったことを後悔した。しばらく居たかったが、サイモンさんとMには1時間で帰ると言ってあったので、戻ることにした。大仏から村の方に続く道をしばらく歩くと、見覚えのある道に出て、サイモンさんの家についた。

ズボンにはずいぶんと雑草の種子が刺さっていた。それを取って、泥を落として、Mの所へ行くと、Mは寝転んでデジカメの画像を見ていた。

その時、ズボンの中で何か大きなものが、突然動いた。そして、太ももに咬みついたのだ。何が起きたかわからず、思わず悲鳴を上げて、脚を振ると、やはり何かがズボンの中に居て、太ももにしがみ付いている。精霊かと思った。

ズボンを脱いでみると、20cmくらいはあるトカゲが居た。さっきの畦道で咬みついたのはこいつだったのだろう。あの時潜り込んだに違いない。それにしても、どうして今まで気づかなかったのか。

708.jpg

トカゲは庭に逃がしてやった。

一しきり笑った後、Mは部屋を出て行った。そして、いなくなってしまった。

部屋で少し涼んでから外に出ると、Mの姿はなかった。その時は気にならなかったが、十数分しても見当たらないので、どこへ行ったのだろうか、と思った。四時にはトレッキングに出発するので、それまで部屋で待つことにした。

四時になっても、Mは姿を現さなかった。サイモンさんの家族の所にいって、タイ語と英語を混ぜながら、Mを見たかと聞いた。すると、Mはサイモンさんと買い物に行ったという。

私は、道路を見渡す場所に坐って、Mを待つことにした。なぜ、約束の時間になっても、二人は戻ってこないのだろう。買い物ならば、往復で二十分もあれば、十分のはずだ。そして、なぜ彼らは、出かけることを私に隠したのか?

Mとサイモンさんが帰ってきたのは、それから四十分後だった。

Mがサイモンさんに、私は眠っている、と言って、二人で出かけたようだった。買い物先でビールを飲んで過ごし、トレッキングは中止にしてしまった。

夜になって食事がはじまり、サイモンさんの家族が集まってきた。サイモンさんの義理の息子が、私を覚えている、と言って笑った。私も覚えていた。三年前に会ったとき、彼はカレンの服を着て、鶏の羽をむしっていた。

709.JPG

サイモンさんには三人の孫がいた。「おいしい?」とタイ語で聞くと、「おいしいです。」と返ってきた。サイモンさんたちが笑った。孫たちは、タイ語で育っているようだった。
posted by やなぎす at 15:10| Comment(0) | 日記